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2006/08/29

同行二人番外「史跡 朝鮮国女の墓」

高知県幡多郡黒潮町…旧大方町をのんびり走っている時であった。

足摺岬を目指し、走行中であり、ガソリンがかなり心許なくなった頃、それが目に飛び込んできた。

ん……「朝鮮国」?

なぜこんなところでこんな文字が!

近寄ってよく見てみた。

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「朝鮮国女の墓」?

ここより200メートル、と書いてある。

これは見ずにはいられない。そして由来を確認せねば。

墓へと続く道は狭い。頑張って進むと、それはあった。

近くに広い所があったので、そこに車を止める。

近くにおじいさんがいたので、声をかけてみた。

黒猫 「こんにちは」

おじいさん うさんくさそうな目(無理もない、黒猫は派手な色の車に乗り、今日の服装は黒一色だw)

黒猫 「朝鮮国女の墓って、何か由来とかご存じですか?」

おじいさん (少し目を開き)「あれは…朝鮮から来た女…長宗我部…文録慶長の役…故郷を…悲しんで…祀った。別の場所に…移した………」

黒猫 「ありがとうございました。見せてもらいます」

………すまん。おじいさんは少し発音が悪く(入れ歯のせいか?)、なおかつ方言で喋られたので、黒猫には意味がわからない。ぽつぽつ単語だけが理解できたw

さっそく見に行ってみる。

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かなり寂しい場所だが、綺麗にしてある。

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「朝鮮国女墓の由来」

 往昔文録慶長の役に出陣した長曾我部元親に従って朝鮮国に渡った入野郷上川口村の土豪小谷与十郎は,帰国にあたって若い機織りの女を連行してきたという。彼の国の進んだ機織りの技術を近郷近在に広めた彼女は美しく優しく,土地の人々に愛され慕われたと言い伝えられている。

 祖国朝鮮への望郷の念を抱いて寂しく異国の地に果てた機織女は,上川口村桂蔵寺の小谷家の墓域に葬られた。墓碑を建てたのは与十郎の四代子孫小谷安次である。天正年中来と刻んだのは,文録慶長の役の強制連行の痛ましさを隠したかったからであろう。卒年を刻んだのは尊徳の念からと思われる。

 代々,土地の人々に守られてきた墓は桂蔵寺跡から,移されて現在地にある。いま,この朝鮮国女墓を世に顕さんとするわれわれの志は,この悲劇の一女性の霊を慰めるとともに,それを通して,日本と朝鮮両民族の友好と連帯を誓うところにある。

1981年7月7日 朝鮮国女の墓を守る会(文はenjoy koreaの方が読みとってくれたものです)

へぇ…文禄慶長の役というと豊臣秀吉の朝鮮出兵のことですね。

日本軍が撤退する時に小谷与十郎が1人の朝鮮国の女を連れて帰った。その女は機織り女で、機織りの技術を伝え、上川口村の人から慕われた。しかし、祖国を思う心は変わらず、寂しく死んでいった。で、小谷家の墓地に葬られた。その後、墓碑が建てられ、代々土地の人に守られてきた、ということらしいですね。

それを1981年に「朝鮮国女の墓を守る会」という会が現在地に移した、と。

ちと文中に気になる点もありますが、それは置いといて……悲しい話ですね。

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墓碑です。少し小さいですが、由来を見た後ではぐっとくるものがあります。

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線香をあげた跡があります。

飾られているのはしきびだと思います。

黒猫も手を合わせてきました。

合掌(-人-)ナームー...

由来について少し調べみました。

朝鮮国女の墓 大方町史」 

「太閤秀吉の朝鮮出兵についてはご存知のことと思いますが,その影に日本文化に寄与した面と悲哀があることを御存知でしょうか
有田焼,薩摩焼,萩焼などの陶磁器の文化は,朝鮮から連行されて来た陶工達によって始められたことは有名ですが,陶工達にとっては迷惑至極なことであったと想われる

長宗我部軍によって土佐へ連行された朝鮮慶尚道秋月城主朴好仁ら30名は,山内氏入国後,浦戸から高知城下へ移住し,豆腐商いの特権を与えられ,高知城下の営業を独占したと言う。彼らの住居した町を唐人町と言い,その町名は今も残っている。

大方町上川口から出兵した小谷与十小郎が,職工として連行した朝鮮国女も,幡多地域の機織り技術の向上には,大いに役立ったのではあるが,見も知らぬ異国へ連れてこられた朝鮮国女自身にとっては,言いようのない不幸な境涯であったわけである

上川口駅の近くにある朝鮮国女の墓は、反戦平和を願う大方町民の拠りどころとして、いつまでも大事に守ってゆきたいものである。

昭和56年(1981),元大方町長小野川俊二氏等世話人の奔走と、在日朝鮮人総聯合会高知県本部の協力により、「朝鮮国女の墓を守る会」が結成され,なかば放置されていた墓域を整備し、この墓の由来を刻んだ碑文を墓域の中に建てた。碑の文は「朝鮮国女の墓を守る会」の関田英里会長の撰したものである。」

……戦争の悲劇と言うべきか、悲しい話です。

歴史の一幕として、知っておくべきでしょう。

ただ、ちょっとなぁ…陶工に関してだが、徳川家康に許されて、朝鮮に帰る許可をもらったのに、残った人が多いという話がない点にうさんくさいものを感じる。

と思ったら「在日朝鮮人総聯合会高知県本部」が絡んでるのか!

総連が絡んでるのかーそうかー

いい話だと思ってたのが、なんかきなくさくなってきた。

由来文の中の「強制連行」に「日本と朝鮮両民族の友好と連帯」ってのに、ひっかかってたんだが、やはり、だったか。

なんか昔から日本人は朝鮮人を強制連行していた、とか言い出しそうな気がする。

ま、裏の目的はどうあれ、こういった悲劇があり、そして今もなお忘れずに墓参りに来る日本人がいる、ということいは少しほろっときます。

で、朝鮮人はこの墓を見てどう思うのか、enjoy koreaにスレッドを建ててみました。

『史跡 朝鮮国女の墓』

あまりいい反応はなかったですが、両極端なコメントがあったので、紹介します。

kennymc 「あれが大事にイッヌンゴか..韓国では低位を放置と呼ぶ」

mukta73 「話を読んで見たら悲しみ, 懐かしさ, 情け心, 敬礼 など ... 複雑多様な感情が縛られている所ですね. 良い資料ありがとうございます. 」

ま、どちらがどうとは言いませんがw

毎年秋には慰霊祭をやってるそうです。

こういった史跡を大事にする心を伝えていきたいものですね。

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ブログを始めて良かったと思う事は私と同じように悩んでる人、私と言う人間を知ろうとしてくれる人に本当にちっぽけで、何も出来ない私でも知ってもらえる価値がある、生きてる意味がある、そう思える瞬間がある事・・・・ [続きを読む]

受信: 2006/08/30 18:44

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